北京研修紀行文

毎年冬に行われる「北京研修」の紀行文をご紹介しています。

北京研修の概要

2018年度北京研修は、2018年12月21日から同28日までの8日間の日程で実施された海外研修で、中華人民共和国の北京市が研修先でした。この北京研修は渋幕の数ある海外研修のうちの一つであり、研修期間中は交流校である月壇中学のバディー生徒の家庭にホームステイしました。平日は、バディーと一緒に月壇中学へ登校し、そこを拠点に北京市内へ研修に行ったり月壇中学の授業に参加したりしました。なお、月壇中学は北京で唯一の第一外国語を日本語とする学校です。

ちなみに、月壇中学は日本で言うところの6年制の中高一貫校に相当し、名称に「中学」とありますが、実際は中学生と高校生が在籍しています。

また、2018年度北京研修の参加者は4人しかおらず、非常に少ない人数での開催になりました。

北京研修の行程 〜1日目〜(12月21日)

この日は朝7時に羽田空港に集合し、わざわざ空港まで見送りに来て下さった学年主任などに別れを告げて参加生徒4人と引率教員1人の5人はチェックインと出国手続きを済ませ、飛行機に搭乗しました。

飛行機の出発は9時10分で、そこから約4時間半の飛行で北京首都国際空港に着陸しました。飛行中は、座席の目の前に付いている画面で現在位置をずっと見続けていました。

北京首都国際空港に着陸したら入国手続きを済ませるのですが、その際に指紋情報を提供する必要があり、良くも悪くも流石は中国だなと思いました。また、北京首都国際空港はとても広く、3つのターミナルを結ぶ新交通システムが運行されており、我々もそれに乗車して港内を移動しました。

その後、無事に入国した我々は月壇中学の先生方と合流し、円から元への両替をしたのち月壇中学の校用車で空港から月壇中学へと向かいました。

北京市郊外にある北京首都国際空港から北京市中心部の月壇中学へ向かう道中は、乾燥した平原を広くて直線的な道路と高規格線路が真っ直ぐに貫いていて、日本でいうと北海道の新千歳空港周辺のような雰囲気でした。しかし、北京市の中心に近づくにつれて急に建物が増え、高層建築に四方を囲まれるようになりました。

北京市中心部では、道路の車線数は日本の東京中心部のそれよりも2車線程多く、碁盤の目状の区画整理された街区が整備されていましたが、それ以上に車の量も多かったため慢性的な渋滞が発生していました。また、商業地区では1階に店舗を構えた高層ビルが立ち並び、政府系の会社や機関の大規模高層建築も数多くあり、目を惹く存在でした。

その後、北京市西城区に入り、月壇中学に近づくと住宅が多くなりました。とはいえ、日本のような一戸建て住宅はほとんど見られず、多くが「小区」と呼ばれる中〜高層集合住宅(日本でいうとマンション〜タワーマンションくらいの高さだが中身はアパート程度)であった。なおこの小区の外壁が薄汚れたピンクからベージュくらいの色なのも特徴的でした。

月壇中学に到着すると、月壇中学の校内見学を行い、学校の歴史や日本との交流事業で受け取った賞や贈り物を展示した資料室には過去の北京研修参加者の足跡を垣間見ることができました。また放課後には、歓迎会を開催していただき、そこで北京周辺の観光名所や史跡について月壇中学の生徒によるプレゼンと、渋幕の生徒による日本の文化や技術についてのプレゼンをそれぞれ行いました。また、ホストファミリーと対面し、贈り物の交換を行いました。中国ではお世話になる人に対して贈り物の交換をするのが一般的な習慣だそうです。

その後は家庭ごとに分かれて解散しました。私のホームステイ先の家庭では近くの料理店に向かい、北京ダックをいただきました。とても美味しくて、思い出したらお腹が減ってきました。その後は家に向かい、バディーとおしゃべりしたりテレビを見たりしてゆっくりして、その日は寝ました。これで1日目は終わりです。

北京研修の行程 〜2日目〜(12月22日)

この日は土曜日で、早速ではありますがホストファミリーと丸一日一緒に過ごしました。私のホストファミリーは私を北京動物園に連れて行ってくれました。北京動物園ではパンダなどの動物を見ました。その後、彼らは私を隣接する北京海洋館にも連れて行ってくれて、動物より魚の方が好きな私は喜びました。

また、この日はホストファミリーの親戚であり大学時代に日本語を学んでいた方と合流し、北京動物園周辺を散策しました。この季節の北京は非常に乾燥しており、また気温も低いため、日本の東京と比べて異次元の寒さでした。

そんな寒い中、昼食には温かい蘭州ラーメンを食べましたが、その際にもらった水があまりに暑すぎて私は舌を火傷してしまいました。

その後はホストファミリーと共に、近くにあるバディーの祖父母の家にお邪魔しました。その日はホストファミリーの都合でそこに宿泊することになっていたようですが、それを知らなかった私は状況をすぐには理解できませんでした。

バディーの祖父母の家ではお菓子や果物を出していただき、それを食べながらバディーと一緒に名探偵コナンの映画を見ました。その途中で、ホストファミリーが北京のご当地おやつ(小吃)である「冰糖葫芦」(ビンタンフールー)を買ってくれました。「冰糖葫芦」は冷凍した果物に飴をかけたひんやり冷たい小吃で、生まれて初めて食べたものでしたが非常に美味しくて、帰国してからも機会があったら横浜中華街に行って食べるほどなので、とてもオススメです。北京に行ったら絶対に食べたほうが良いです。屋台などでも売っているので、見かけたら買ってみることをオススメします。

夕方になったら、北京研修の課題の一つである「ホストファミリーと一緒に水餃子作り」をしました。バディーの祖父母が作り方を教えて下さり、バディーと一緒にたくさん作りました。上手にしわを作るのが難しかったですが、調理された後の餃子はどれもしっかり美味しく仕上がっていて良かったです。

また、この研修期間を通じて、バディーは少しだけの日本語と若干の英語を、バディーの父親は英語をそれぞれ話せるので、私は日本語、若干の英語、若干の中国語の3言語を用いて意思疎通を行ったのですが、そんな事情を知らないバディーの祖父母はがっつり中国語で話しかけてくるので意思疎通に苦労しました。彼らが僕に話しかけても僕が聞き取れないことが多く、そんな時には「啊~听不懂」(あ〜わかんないね)と言って笑っていました。さらに、バディーの祖母がしきりに口にしていた言葉に「没事儿」(大丈夫さ)というのがあります。どうやらこれは北京っぽい言い回しのようで、北京研修の約1ヶ月後に行われた月壇中学生徒の来日時に、私が何度も「没事儿」と言っていたら「北京人〜!」(北京っ子じゃ〜ん)と言われて笑われました。面白かったです。

2日目はこの後は特に何もなく、早めに寝ました。これで2日目は終わりです。

北京研修の行程 〜3日目〜(12月23日)

この日は日曜日で、前日に引き続いて休日であり、終日ホストファミリーと一緒に過ごしました。前日に予めこの日に行く場所の希望を伝えておいたため、この日は私の行きたいところに連れてってもらいました。

まずは前日から滞在しているバディーの祖父母の家で朝食をいただき、バディーとともにバスに乗車しました。バスの車内には、日本と異なり「乘车管理员」(乗車管理員)という謎の係員が運転士とは別に乗車しており、おそらく不正乗車や誤乗防止のために配置されているのだと思いますが、日本では見ない光景に新鮮さを感じました。さらにバス自体も、日本では希少な存在であるトロリーバスが使われている他、通常のバスついてもガソリンではなく燃料電池車が用いられており、中国の大気汚染対策の本気度を垣間見ることができました。なおそれでも依然として北京の空気は薄汚れていて、常に息苦しさを感じていました。

その後、目的地である軍事博物館に到着し、中国人民解放軍をはじめとする世界の戦史や歴代の装備品を鑑賞しました。九九式高等練習機や九一式航空魚雷など、かつての日本軍からの鹵獲品も多数展示されており、日本ではなかなか見られない展示品も多く、大変興味深かったです。

昼食は近くの飲食店街の一角にある「肯德基」に行きました。さて、この「肯德基」は日本でもお馴染みのチェーン店の名前なのですが、日本語では何と言うでしょう。はい、正解は「ケンタッキー」です。「肯德基」は「ケンダージー」と読み、日本で言う「当て字」といったところでしょうか。

その後は地下鉄に乗車し、鉄道博物館に向かいました。北京の地下鉄は日本と異なり紙のきっぷは用いられず、プリペイドカードのような仕組みの乗車票を購入する方式です。また、各駅に必ず手荷物検査があり、駅構内は警戒態勢が敷かれていました。他にも北京の地下鉄は扉の開閉が自動化されており、各駅に停車し開扉してから一定時間が経過すると自動で閉扉するようになっており、扉に挟まれかける人が多発していました。

鉄道博物館では、中国の鉄道の歴史や電子連動装置、弾性分岐器など現代の鉄道技術についての展示があり、解説は全て中国語でしたが、頑張って解読して知識の向上に役立てました。

鉄道博物館の後には、「南锣鼓巷」および「胡同」に行きました。「南锣鼓巷」は、古くからの中国の街並みを現代風の店舗に改装して観光地化した地域です。多種多様なお店が立ち並び、人気を博しています。「胡同」は、昔ながらの街並みや建築がそのまま残っている地域で、北京の古くからの光景を今に伝える場所として多くの人が訪れます。ここで私は、ホストファミリーに勧められてお土産を買っていただきました。これで3日目は終わりです。

北京研修の行程 〜4日目〜(12月24日)

いよいよこの日はバディーと一緒に初めて月壇中学に登校しました。私のバディーは徒歩で学校まで登下校していましたが、家庭によっては地下鉄やバス、自転車など様々な手段を使って通学していたようです。

中国では日本より1日あたりの学校の拘束時間が長く、日本の一般的な高校より朝は早く夜は遅いので、朝食も学校の食堂で摂る場合が多いそうです。月壇中学でも、多くの生徒が朝食を学校の食堂で摂っていて、私もバディーと同じように月壇中学の食堂で毎日朝食をいただきました。

月壇中学の食堂では、自分の好きなものを好きなだけお皿に盛り付けて食べることができるのですが、盛り付けて下さるのが中国人の係の人なので、個数や分量などについて中国語での意思疎通が難しく、毎朝自分の中国語能力の低さを悔やみました。

朝食を終えたら渋幕生は校長室に集合し、みかんのような果物とお茶をいただきながら月壇中の校長先生と歓談しました。その後、月壇中学の校用車で北京にある日本大使館を訪問しました。道中は朝の通勤ラッシュで、中国の車線の多い道路を以ってしてもなお酷い混雑でしたが、無事に大使館に到着しました。

大使館に入る際は身分証明書を警備の人に見せる必要があるのですが、日本とは違い大使館の正面を警備するのは中国人民解放軍の武装警察です。この武装警察は中国国内では重要施設の警備にあたる姿を頻繁に見ることができ、治安の維持に貢献しています。しかし、彼らは日本の警察とは違い軍人であるため、むやみに近づいたり写真を撮ったりするなど任務の妨害やスパイ行為と疑われるような行動は慎みましょう。

日本大使館に入ると、中には日本語の書籍や日本に関わりのあるものがたくさん置いてあって、中国にいながら日本に帰ってきたような安心感を覚えました。その後、駐中大使と日中の諸問題や関係についての話し合いを行い、記念撮影をしました。

日本大使館では現地の中国人向けに日本のことをより深く理解してもらうための取り組みを行っており、地域住民向けのセミナーなどを開催しているそうです。

お昼は一度月壇中学に戻り、食堂で昼ご飯をいただきました。平日のお昼は全て月壇中学にて昼食を食べました。月壇中学での昼食はどれも辛いものが多く、また量も多いため食べきるのは非常に困難でした。これは中国の食文化を反映しているものであり、おもてなしの意味があると聞きましたが、日本人の我々としては、もったいない精神や出してもらったものを残すのは申し訳ないという気持ちで頑張って食べようとして、毎日大量のご飯を食べることになりました。

午後には、北京市网梯科技发展有限公司の漢王大厦にある研究開発センターに行きました。その際、駐車場の入口にいる警備員が方に階級章のようなものを佩用していたのが印象的でした。中国では街の至る所で階級章のようなものを見かけます。先述のバスの乘车管理员の肩や黒い制服を着た「民警」の肩にもくの字型の銀線2本があしらわれていました。

研究開発センターでは会議室に通され、企業の方から事業についての説明とオフィスの見学を行いました。なお、説明の際にはお茶と果物を出していただきましたが、我々渋幕生は初めての企業訪問ということもあり借りてきた猫のように固まって誰も手をつけませんでした。また、我々がお茶を少し飲むとすぐ注いでくれて、無限にお茶が出てきてしまうので困ってしまいました。

この企業はオンライン教育の拡充に尽力しているようで、中国の都市部と地方の教育格差をオンライン教育によって埋めることを目指していると語っていました。

帰り際には、この日がクリスマスイブであったことからお土産としてリンゴをもらいました。中国ではクリスマスにはリンゴを贈るのが習わしとなっているようです。

この後は月壇中学の校用車で月壇中学に戻り、バディー生徒と合流して渋幕生は解散、下校しました。これで4日目は終わりです。

北京研修の行程 〜5日目〜(12月25日)

この日は5日目です。朝は、言葉の壁に阻まれながらも前日と同様にバディーと一緒に月壇中学の食堂で朝食を頂きました。

この日は月壇中学を出発したらまず清華大学に向かいました。清華大学は中国国内でも有数の文系の大学で、著名な卒業生には現在の中国の国家主席である習近平などがいます。清華大学は広い敷地を有しており、芝生の広場や整備された並木道がありました。構内では、資料館のような建物を見学し、清華大学のこれまでの歩みを知ることができました。

続いて、北京大学に向かいました。北京大学の見学時には、日本語を話せる北京大学の学生さんが一緒に同行してくれて、広大な北京大学のキャンパス内を案内してくれました。

北京大学のキャンパスは「燕園」とも呼ばれており、その歴史は古く、明や清の時代から修復や改築を経て現在まで残されています。この庭園には「未名湖」という池や、その水を汲み上げて各所に送水するための塔である「博雅塔」という、十三重(?)の塔があります。この他にも、北京大学の「燕園」には著名な人物の石碑や家などが保存されており、北京大学の精神的聖地のようになっています。

また、余談にはなりますが、日本でも報道され知名度が高まった中国のシェアサイクルですが、これは広い北京大学構内を迅速に移動するため、研究室の学生たちが主体となって開始した企画のようで、それが北京大学の外へ、さらには中国全土に広がったという形のようです。

北京大学から一度月壇中学に戻って昼食を頂いた後、中国の中心とも言える天安門広場に向かいました。天安門広場は中華人民共和国の建国が宣言された場所で、現在でも世界中から観光客が訪れます。天安門広場は想像以上に広く、日本ではこれほど大きな広場は見られないなと思いました。

その後、天安門から故宮に入り、清王朝の王宮である故宮を見学しました。故宮には大小様々な建物と部屋が存在し、いくつもの建物を抜けてやっとかつての皇帝が生活していた建物に辿り着くことができました。

故宮の次には景山公園に行きました。景山公園は天安門、故宮の背後に位置する公園で、園内には小高い山があり、北京の街を一望することができます。古来より景山公園からの景色は有名で、漢詩にも登場しています。景山公園の中には、太極拳をしているご老人やリボンダンスをしている方々がいました。

その後はいつも通り月壇中学に戻り、バディーと一緒に下校しました。これで5日目は終わりです。

北京研修の行程 〜6日目〜(12月26日)

この日は6日目です。そろそろ北京での生活にも慣れてきて、朝の月壇中学での食事も問題なくできるようになってきました。いつも通り朝食を摂ったら、いつも通り渋幕生は集合しました。この日は月壇中学の授業見学の日です。先述の通り、月壇中学は日本語を第一外国語として教えており、日本語の授業が存在します。我々渋幕生は、1時間目に高1の日本語の授業に、2時間目と3時間目は高3の日本語の授業にそれぞれ参加しました。

1時間目の高1の授業では、文法の授業を行っていて、当然日本語が母語である我々は容易に理解できる話なのですが、月壇中の生徒の中には苦戦している人もいて、普段我々が英語を学ぶ時もこんな感じなぁと思いながら見ていました。自分の母語が外国語として学習される光景は非常に新鮮で、面白かったです。

2時間目の高3の授業は先程の高1とは異なり、実践的な日本語での会話や発表が行われており、授業冒頭には我々渋幕生の自己紹介も行いました。自己紹介の後は、月壇生と渋幕生混合の班を作り、先生が提示するテーマに沿って会話をしました。

なお、この際に昔日本に住んでいたことがあるという人が現れ、しかも彼が以前日本で住んでいた場所を尋ねると、筆者の私が現在住んでいる場所の近くであったため、驚きました。世界は狭いですね。

続いて3時間目の授業に移る前に、休み時間がありました。この休み時間では、生徒全員がグラウンドに出てマラソンをします。我々渋幕生も月壇生と一緒にマラソンをしました。マラソンの最中にはドラえもんやちびまる子ちゃんなど日本の有名な音楽がBGMとして流れており、親近感が湧きました。

マラソンの後、校舎に戻って3時間目の授業に向かいました。3時間目も高3の授業に参加し、ここでは班ごとに自己紹介や趣味などの話をしました。ちなみに、私と同じ班になった女子で、いきなり「私は腐女子です」と言い出す人がいてびっくりしました。中国では腐女子は普通のことなのでしょうか。

また、同じ班の別の方は、僕が日本に帰国して高2になった頃、「日本に来ています」と連絡をくれて、話を詳しく聞いたところ、どうやら日本語学校に通いながらアルバイトをして日本で生活し始めたようです。さらにその方は高校生当時、渋幕への交換留学にも参加していたようで、9月に行われた文化祭で私と再会を果たした時には渋幕を懐かしがっていました。まさか月壇中学で知り合った人と日本のしかも自分の学校で再会するとは思ってもいなかったので、非常に貴重な経験になりました。

北京研修では何人もの月壇中学の生徒と色々な形で関わり、大変良い思い出になりました。

月壇生より一足早く昼食を食べた後、いつも通り月壇中学の校用車で学校を出て、雍和宮に向かいました。雍和宮は有名なチベット仏教の寺院で、境内はかなり広く、前日に行った故宮のような立派な建物もあり、中国の古い建物の規模の大きさに圧倒されました。我々も線香を買い、通訳兼案内役として同行して下さった月壇中学の日本語の先生に教わりながら参拝してお願い事をしました。

その後、続いて国子監という古代中国における最高学府の史跡に行きました。そこではまず孔子の銅像が建っており、みんなでなんとなく拝んでおきました。かつてはここで科挙なども行われ、王朝にとって非常に重要な施設だったようですが、現在は人もあまりおらず、石畳に草が生えている静かな佇まいになっています。

また、この雍和宮から国子監への移動の際には、事前に「地下鉄に乗りたい」と言っていたため、先生方が融通を利かせて地下鉄を利用しました。短い区間の移動ではありましたが、相変わらずどこでも荷物検査が行われるし、ホームに駅員や警備員はたくさんいるし、中国の治安対策は非常に厳重だなぁと感心しました。もはや人海戦術です。

その後はいつも通り月壇中学に戻り、バディーと一緒に下校しました。なお、この日はホームステイ最後の日で、翌日はホテルに宿泊するため、バディーやホストファミリーと過ごす最後の夜を迎えました。これで6日目は終わりです。

北京研修の行程 〜7日目〜(12月27日)

この日は7日目です。この日の朝までに荷物をまとめ、ホストファミリーと最後のお別れをして、彼らの元を後にしました。その後月壇中学ではいつも通り朝食を摂ったら、校用車に乗って万里の頂上まで向かいました。万里の頂上に向かう高速道路のうち北京市内の区間は、車線が片側だけで6車線くらいあるのに非常に混雑していて全く動かず、とんでもない人口を抱える中国の朝ラッシュの恐ろしさを思い知りました。

北京市街地を抜け山岳部に入ると気温が次第に低下し、北京市街地では0℃前後だったその日の万里の長城の気温は-13℃でした。-13℃という気温は東京で暮らしていると絶対に経験できない寒さです。リュックに入れて持ってきたペットボトルの水は凍ります。そしてまつ毛や眉毛には霜が付き、顔はずっと痛いです。万里の長城は山の尾根上にあるため、風が非常に強く吹きます。そのため防寒は徹底して行う必要があります。

しかし、万里の長城はそんな極寒の中でも多くの国からやってきた観光客で賑わっていました。そんな中、我々が歩いているところに突然「今日は寒いですね」と日本語で声をかけてきたイギリス人男性が居ました。どうやら彼は上海で中国人に英語を教えている教師のようで、日本語も勉強しているとのことでした。そんな英国紳士との邂逅に運命(笑)を感じながら、我々は万里の長城を後にしました。

その後、万里の頂上から月壇中学に戻り、昼食を食べた後は校長先生との懇談が予定されていたため、その時間まで月壇中学の図書室でゆっくり過ごしました。図書室には数多くの日本語の蔵書があり、日本の高校から寄贈されたものが目立ちました。私は中国語の軍事雑誌を読みながら、楽しかった北京研修の思い出を振り返り、あっという間だったけど、最高に充実した時間だったなぁと思いました。

月壇中学の校長先生との懇談の後は、バディー生徒たちとの送別会を行っていただきました。送別会が終わると、我々はそのまま月壇中学とも最後のお別れをして、「海底捞」という店に行きました。ここで、お世話になった月壇中学の先生を交えて夕食を食べました。そこで食べたのは「火鍋」という中国版しゃぶしゃぶのようなもので、日本では珍しい羊の肉も入っていました。また、その店では「変面」という中国の伝統芸能の演示も行っており、食事中に爆音の曲と共にやってきた演者さんが、曲に合わせてお面を次々に変えていく技は、見応えがありました。

食事を終えた後、月壇中学の先生と別れ、我々は海底捞を後にしました。これにて長かった北京研修の全てのプログラムが終了しました。この後は广电国际酒店に向かい、これまでの思い出を振り返り、友達と語り合いながら北京での最後の夜を楽しみました。これで7日目は終わりです。

北京研修の行程 〜8日目〜(12月28日)

この日は8日目です。この日の朝食はホテルのバイキングで、久しぶりに日本でもよく食べるような慣れ親しんだ洋食を味わい、若干の安心と寂しさを覚えました。ホテルを出たら空港へ直行し、いよいよ中国を出国しました。

搭乗した飛行機はエプロンを離れ、滑走路手前でホールドに入りました。この際、永遠に離陸しないなぁと思っていたら、合計13機もの着陸機をやり過ごした後にようやく離陸しました。北京首都国際空港は滑走路が2本ありますが、膨れ上がる航空需要を満たすには全く足りていないんだろうと思いました。

日本に到着すると、空港まで国際部の先生が迎えに来てくれていました。中国では常に空気の汚れを感じ、どこか息苦しさを覚える日々でしたが、やっと久しぶりに深呼吸をして空気を胸いっぱいに吸い込みました。そして私は、やっぱり日本って良いなぁと思いながら帰宅しました。これで8日目は終わりです。

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